今日はご飯が食べたいという駐在員F氏の希望に応えて(って、私が連れて行ってもらうのだが)、スペイン料理を食べに行く。かすかな記憶を頼りに車で向かうが、どうも違うらしい。近くまでは来ているはずなのだが。電話で知り合いに尋ねてツメの方向が違っていることが判明、30分のロスタイムでたどり着いた。
お店の名前はEL TORERO、場所はHinntermayrstarasse 2である。
さて、スペイン料理といえばやはりパエーリャ。オリーブオイルのきいた海の幸いっぱいのを食べましたよ。日本人の中年オヤジ二人では、ちょっと量が多かったか。まあ、満足の夕食でした。
飲み物は、おすすめの赤ワインを飲みました。これも旨かったな。
2007年07月23日
2007年07月21日
ミュンヘン半日紀行
駐在員Tさんご夫妻に案内してもらって、半日のミュンヘン行き。彼らは日本食材の買い出しを兼ねてということらしい。なんせ、ニュルンベルクにはそんな場所はありませんので。
午後1時頃にホテルを出発し、ミュンヘン到着が2時過ぎ。アウトバーンを使えば1時間くらいで着いてしまうくらいの距離。感覚的には神戸から大阪までお買い物という感じですか。距離はもっとありますけれども。
まずは日本食材の買い物からというわけで、行きつけ(?)のお店へ。

ごらんの通り、小さい店内ながら、日本食材が並びます。値段的には日本の価格を2倍にした数字がEuroで書かれています。円安の昨今はそれの1.6倍ですから3倍くらいの円換算の値段になりますね。外国で暮らすというのはそういうことなんです。
買い物が済んで、観光モードの始まり。Tさんらも行ったことがないというのでレジデンツに行くことにしました。googleの地図の位置の矢印に北側の建物です。本当は博物館(レジデンツ)と宝物館と両方を見て回ろうかと行ってたんですが、時間の関係でレジデンツだけということになりました(チケットのところで、この時間からだとレジデンツだけにした方が良いと言われた)。
建物自体は第2次世界大戦の爆撃で破壊されて修復されたものですが、所蔵品は疎開されていて無事だったようです。壁や天井の絵画もきちんと修復されています。もっとも、年月のうちに消えてしまっているものもあるわけで、それらがあったときにはどのような部屋だったのかが気にはなりますね。
オーディオガイドの案内を聞きながら宮殿を見て回ります(ちなみに、ガイドは英語とドイツ語しかありません)。建物の雰囲気は、オーストリアのシェーンブルク宮殿と似ていると言ったら「違う!」といわれるかなあ。でも、全体的な作りは似ていると思いました。時間が無くてじっくり見られなかったのがちょっと残念かも。2時間では物足りなかったですね。


閉館時間の6時にレジデンツを出て、隣にあるテアティーナ教会に入ってみました。ちょうど夕方のミサの最中で、何かしらの祈りの言葉と聖歌を歌ってらっしゃいました。日常の祈りでも美しい音楽が教会に響いている、これがヨーロッパの音楽の源泉なんだなと感じました。言葉はラテン語のように聞こえたのですが、ミサのあとで聖歌集を見るとドイツ語の言葉になっていました。
夕食はTさん夫妻の希望で日本食。ニュルンベルクでは食べられない安価な和食にすることにしました。場所がうろ覚えだということでさまようこと30分くらい。何とかおぼろげな記憶でたどり着くことができました。
にぎり寿司1貫が1ユーロという安価で、それなりにおいしい寿司が食べられました。SUSHI SANO(佐野)という和食レストランをお試しあれ。場所はJosephspitalstraße 4, 80331 Münchenです。
帰ろうとしたらものすごい雨、結局ニュルンベルクにたどり着くまで、豪雨の中のドライブとなりました。
午後1時頃にホテルを出発し、ミュンヘン到着が2時過ぎ。アウトバーンを使えば1時間くらいで着いてしまうくらいの距離。感覚的には神戸から大阪までお買い物という感じですか。距離はもっとありますけれども。
まずは日本食材の買い物からというわけで、行きつけ(?)のお店へ。

ごらんの通り、小さい店内ながら、日本食材が並びます。値段的には日本の価格を2倍にした数字がEuroで書かれています。円安の昨今はそれの1.6倍ですから3倍くらいの円換算の値段になりますね。外国で暮らすというのはそういうことなんです。
買い物が済んで、観光モードの始まり。Tさんらも行ったことがないというのでレジデンツに行くことにしました。googleの地図の位置の矢印に北側の建物です。本当は博物館(レジデンツ)と宝物館と両方を見て回ろうかと行ってたんですが、時間の関係でレジデンツだけということになりました(チケットのところで、この時間からだとレジデンツだけにした方が良いと言われた)。
建物自体は第2次世界大戦の爆撃で破壊されて修復されたものですが、所蔵品は疎開されていて無事だったようです。壁や天井の絵画もきちんと修復されています。もっとも、年月のうちに消えてしまっているものもあるわけで、それらがあったときにはどのような部屋だったのかが気にはなりますね。
オーディオガイドの案内を聞きながら宮殿を見て回ります(ちなみに、ガイドは英語とドイツ語しかありません)。建物の雰囲気は、オーストリアのシェーンブルク宮殿と似ていると言ったら「違う!」といわれるかなあ。でも、全体的な作りは似ていると思いました。時間が無くてじっくり見られなかったのがちょっと残念かも。2時間では物足りなかったですね。


閉館時間の6時にレジデンツを出て、隣にあるテアティーナ教会に入ってみました。ちょうど夕方のミサの最中で、何かしらの祈りの言葉と聖歌を歌ってらっしゃいました。日常の祈りでも美しい音楽が教会に響いている、これがヨーロッパの音楽の源泉なんだなと感じました。言葉はラテン語のように聞こえたのですが、ミサのあとで聖歌集を見るとドイツ語の言葉になっていました。
夕食はTさん夫妻の希望で日本食。ニュルンベルクでは食べられない安価な和食にすることにしました。場所がうろ覚えだということでさまようこと30分くらい。何とかおぼろげな記憶でたどり着くことができました。
にぎり寿司1貫が1ユーロという安価で、それなりにおいしい寿司が食べられました。SUSHI SANO(佐野)という和食レストランをお試しあれ。場所はJosephspitalstraße 4, 80331 Münchenです。
帰ろうとしたらものすごい雨、結局ニュルンベルクにたどり着くまで、豪雨の中のドライブとなりました。
2007年07月13日
2007年07月12日
週末の計画
月曜日も休みなので、どこか遠くに出かけようか。チェコに友人が単身赴任しているのを思い出して連絡を取るも、今週末は予定がある様子。職場の人々に色々と聞いてみると、せっかくだからベルリンに行ってみたらと言う。Mさんに切符の買い方を教えてもらって計画を立てる。
Nürnberg Hbf 09:40 --> Berlin Hbf (tief) 14:06
Berlin Hbf (tief) 12:57 --> Nürnberg Hbf 17:25
なんて感じで行くのがちょうど良いかな。土曜出発の月曜帰宅。ベルリンの宿は1泊50ユーロで確保。よしよし。明日にでもICEの切符を買ってこよう。
夕食はホテルで粗食。このビールは今日飲んだもの。weissbier(バイツェン)も瓶ビールとして売っています。はい。
Nürnberg Hbf 09:40 --> Berlin Hbf (tief) 14:06
Berlin Hbf (tief) 12:57 --> Nürnberg Hbf 17:25
なんて感じで行くのがちょうど良いかな。土曜出発の月曜帰宅。ベルリンの宿は1泊50ユーロで確保。よしよし。明日にでもICEの切符を買ってこよう。
夕食はホテルで粗食。このビールは今日飲んだもの。weissbier(バイツェン)も瓶ビールとして売っています。はい。

2007年07月11日
ドイツの洗濯機の謎
週に一回は選択しないと着るものが無くなってしまう。下着をもう少し持ってくるんだったと思っても後の祭り。とにかく、毎週コインランドリーに通わねばならない。
前回何とかなったので、今回は問題が発生しないはずだったのだが…。
問題というのは、洗剤を2回分出してしまったということ。洗濯機を選んだあとにボタンが点滅したから、ついそれを押すと洗剤が出てきたというわけ。もう、すでに洗剤は持っているよ。。。。
まだまだ謎の多い機械である。
前回何とかなったので、今回は問題が発生しないはずだったのだが…。
問題というのは、洗剤を2回分出してしまったということ。洗濯機を選んだあとにボタンが点滅したから、ついそれを押すと洗剤が出てきたというわけ。もう、すでに洗剤は持っているよ。。。。
まだまだ謎の多い機械である。
2007年07月10日
ロマンティック街道日帰り紀行(ヴィース教会)
土曜日の話の続きです。
ノイシュヴァンシュタイン城から世界遺産のヴィース教会に向かいます。ナビにまかせて走ったので、どうやらメインの観光道路ではなく裏道をたどった模様。このようにのどかな風景です。

そして、草原の中に立つ教会が目の前に現れた(Wies 12, 86989 Steingaden-Wies)。緑の中の白い壁の教会は確かに美しい。でも普通の教会に見えたのだった。入り口に向かう小道にはこんなかわいらしい看板が。観光地らしくはありません。


あまり期待せずに建物の中に入って、鮮やかな装飾に彩られた壁。確かに美しい。そこで日常のように結婚式が行われている。その辺が素晴らしいですね。




祭壇に安置されている「むち打たれるキリスト像」が涙を流す奇跡を起こしたとされる。この像のためにヴィース教会は建てられたのである。
そんな蘊蓄なんてどうでも良くて、なかにいるだけで幸せな気分になりました。

帰りはアウトバーンを一気に走ってニュルンベルクへ。夕食は寿司レストラン「大阪」でなんちゃって日本食を食べて今日一日を閉めます。焼きうどん、意外とうまかったです。
ノイシュヴァンシュタイン城から世界遺産のヴィース教会に向かいます。ナビにまかせて走ったので、どうやらメインの観光道路ではなく裏道をたどった模様。このようにのどかな風景です。

そして、草原の中に立つ教会が目の前に現れた(Wies 12, 86989 Steingaden-Wies)。緑の中の白い壁の教会は確かに美しい。でも普通の教会に見えたのだった。入り口に向かう小道にはこんなかわいらしい看板が。観光地らしくはありません。


あまり期待せずに建物の中に入って、鮮やかな装飾に彩られた壁。確かに美しい。そこで日常のように結婚式が行われている。その辺が素晴らしいですね。




祭壇に安置されている「むち打たれるキリスト像」が涙を流す奇跡を起こしたとされる。この像のためにヴィース教会は建てられたのである。
そんな蘊蓄なんてどうでも良くて、なかにいるだけで幸せな気分になりました。

帰りはアウトバーンを一気に走ってニュルンベルクへ。夕食は寿司レストラン「大阪」でなんちゃって日本食を食べて今日一日を閉めます。焼きうどん、意外とうまかったです。
2007年07月09日
ロマンチック街道日帰り紀行(ノイシュバンシュタイン城)
一昨日の続きです。
アウグスブルクを出てノイシュバンシュタイン城に向かいます。こんな感じの田舎道を進んでいきます。


フッセンの町には立ち寄らず、フォルッゲン湖のところから直接城の方へ。途中、聖コロマン教会が見えてきました(Colomanstraße, 87645 Schwangau)。

近づいてみると、婚礼が始まるところなんでしょうか。バイエルンの民族衣装を着た人々が教会前に集まっています。馬車もいたりして、これが一般的なこの地方の婚礼なんでしょうかね。


何気ない教会なんですが、中は壁画が描かれて明るい雰囲気です。こんなところで結婚式なんていいですねえ。


教会をあとにして進むと、このように城が見えています。この城がわずか150年くらい前に建てられたなんて、世界史に明るくない私にとっては不思議な感覚です。

時間はちょうどお昼時、城に向かう前に腹ごしらえです。昼食にビーフの小振りステーキとポテト。もちろん飲み物はビールで、ケーニッヒ・ルートヴィヒという名前の地物らしいものを注文。黒ビールで癖はあるけど美味でした。

腹ごなしにと、ルートヴィッヒ2世の父親のマクシミリアン2世の再建したホーエンシュヴァンガウ城に登ります。もともと、この地シュバンガウ地方の領主の住まいだったこの城は、持ち主が何度も変わり荒れ果てていたようです。それを買い取ってネオゴシック様式に改修したんですね。ちなみに、中に入るには駐車場付近のチケットセンターで入場券を買っておかないといけません。我々は入るつもりはなかったので買わずに登ったんですが、わざわざ登って入れないという事態にならないように注意が必要です。

ホーエンシュヴァンガウから見た、ノイシュヴァンシュタイ城です。

ノイシュヴァンシュタイン城(Neuschwansteinstraße, 87645 Schwangau)を外から眺めるには、城の裏手にあるマリエン橋がおすすめです。実際、多くの観光客でひしめいていました。日本人もたくさんいて、大阪弁でしゃべっているおばちゃんの声を聞いてなぜかほっとしました。ちなみに、冬場は(一応)橋は通行止めになっていますが、At Your Own Riskで行くには問題はありません。

ここが城に行くのと橋に行くのとの分岐点。ここまでは下からバスで登れるんですね。ちなみにバス料金は往復で2.6ユーロでした。
今日の旅行記はここまで。
アウグスブルクを出てノイシュバンシュタイン城に向かいます。こんな感じの田舎道を進んでいきます。


フッセンの町には立ち寄らず、フォルッゲン湖のところから直接城の方へ。途中、聖コロマン教会が見えてきました(Colomanstraße, 87645 Schwangau)。

近づいてみると、婚礼が始まるところなんでしょうか。バイエルンの民族衣装を着た人々が教会前に集まっています。馬車もいたりして、これが一般的なこの地方の婚礼なんでしょうかね。


何気ない教会なんですが、中は壁画が描かれて明るい雰囲気です。こんなところで結婚式なんていいですねえ。


教会をあとにして進むと、このように城が見えています。この城がわずか150年くらい前に建てられたなんて、世界史に明るくない私にとっては不思議な感覚です。

時間はちょうどお昼時、城に向かう前に腹ごしらえです。昼食にビーフの小振りステーキとポテト。もちろん飲み物はビールで、ケーニッヒ・ルートヴィヒという名前の地物らしいものを注文。黒ビールで癖はあるけど美味でした。

腹ごなしにと、ルートヴィッヒ2世の父親のマクシミリアン2世の再建したホーエンシュヴァンガウ城に登ります。もともと、この地シュバンガウ地方の領主の住まいだったこの城は、持ち主が何度も変わり荒れ果てていたようです。それを買い取ってネオゴシック様式に改修したんですね。ちなみに、中に入るには駐車場付近のチケットセンターで入場券を買っておかないといけません。我々は入るつもりはなかったので買わずに登ったんですが、わざわざ登って入れないという事態にならないように注意が必要です。

ホーエンシュヴァンガウから見た、ノイシュヴァンシュタイ城です。

ノイシュヴァンシュタイン城(Neuschwansteinstraße, 87645 Schwangau)を外から眺めるには、城の裏手にあるマリエン橋がおすすめです。実際、多くの観光客でひしめいていました。日本人もたくさんいて、大阪弁でしゃべっているおばちゃんの声を聞いてなぜかほっとしました。ちなみに、冬場は(一応)橋は通行止めになっていますが、At Your Own Riskで行くには問題はありません。

ここが城に行くのと橋に行くのとの分岐点。ここまでは下からバスで登れるんですね。ちなみにバス料金は往復で2.6ユーロでした。
今日の旅行記はここまで。
2007年07月08日
自転車でちょっと運動
ロマンティック街道紀行の続きもありますが、今日の話を先に。
昨日の疲れはそれほどではないが、夕方までは細々としたコトをゴソゴソ。16時過ぎになって自転車で出かけることにした。Doku-zentrumまでの道の下調べである。普通の観光客ならばトラムに乗って Doku-Zentrum(地図はリンク参照)まで行けば目の前である。

地図を見てもらえば分かるが、楕円形の建物が半分ほどできあがったところで建築が止まっている。この地にナチが国会議事堂を建てようとして半分までできたところで中断したということらしい。
池を挟んで東側には、ナチ党大会が行われヒトラーが演説したツェッペリンフェルトも残っている。その南側にはドイツW杯で日本が戦ったサッカー場もある。この地にくることで、一気に身近な場所になったといえよう。
今日は外側からだけ、また夏休みにでもじっくり訪ねてこよう。
昨日の疲れはそれほどではないが、夕方までは細々としたコトをゴソゴソ。16時過ぎになって自転車で出かけることにした。Doku-zentrumまでの道の下調べである。普通の観光客ならばトラムに乗って Doku-Zentrum(地図はリンク参照)まで行けば目の前である。

地図を見てもらえば分かるが、楕円形の建物が半分ほどできあがったところで建築が止まっている。この地にナチが国会議事堂を建てようとして半分までできたところで中断したということらしい。
池を挟んで東側には、ナチ党大会が行われヒトラーが演説したツェッペリンフェルトも残っている。その南側にはドイツW杯で日本が戦ったサッカー場もある。この地にくることで、一気に身近な場所になったといえよう。
今日は外側からだけ、また夏休みにでもじっくり訪ねてこよう。
2007年07月07日
ロマンティック街道日帰り紀行(アウグスブルク)
今日は一日でロマンティック街道の表面をたどる。駐在員Fさんが朝8時半にホテルにピックアップに。往復約700kmのドライブである。行きはできるだけ下道を走り、帰路はアウトバーンで一気に帰るという作戦で出発した。
最初に訪れた街はアウグスブルク。ニュルンベルクから南に100キロ、ミュンヘンから西北西に50キロの位置にあたる。人口25万人のロマンティック街道では一番大きな街である。公式webページには日本語ページもあるようですね。


街中にはいると景色はこんな感じで、それまでの田舎道から都会の装いになる。まずは観光名所の大聖堂へ(教会のページ)。場所は市の中心より数百メートル北側のFrauentorstrasse 1です。教会前の道路に駐車して観光モードに入ります。



青空を背景に教会の美しい建物が映え、なかなか良い雰囲気です。9世紀に作られたこの教会は、内部に美しいステンドグラスを持ち、古いものは12世紀頃に作られた世界最古の部類になるようです。


中に入ってみると、この日の夕方に行われるオルガンコンサートの練習が行われているようでした。練習とは言いながら、無料で美しいオルガンの音を聞けたのはラッキーでしたね。
教会をあとにして、今度は市の中心へ。時間は10時過ぎで小腹が空いてくる時間です。F氏は朝食をとっていないというのもあり、広場で何かを食べることにしました。


市庁舎(Rathaus(Rathausplatz, 86150 Augsburg))は、建築家エリアス・ホルによって1615-1620年に建築され、北部アルプス地方のルネサンス建徳の最高傑作の一つなんだそうです。
ドイツの街は割とどこでも同じような感じなんだそうですが、中心部に市庁舎や教会があって、その前の広場でこうしてオープンスペースで食事ができるようになってます。夏場はここでビールを飲んでいる人々が多くいます。せっかくなので、ソーセージとバイツェンで軽食。ビール付きでどこが軽食だという突っ込みは却下です。トイレに行ってる間に、地元の70歳位のおじいさんがなぜか同席するという展開に。彼は中学生時代(?)に習った単語レベルの英語。こちらはさらにpoorなドイツ語で、とにかく乾杯を言い合う程度の会話でしたが、何となくコミュニケーションができた積もりになって。別れ際に、「会えて嬉しかった、ありがとう」と言ってはりました。こういう触れあいも旅の醍醐味です。
このあと、一路ノイシュバンシュタイン城に向かいますが、続きはまた。
最初に訪れた街はアウグスブルク。ニュルンベルクから南に100キロ、ミュンヘンから西北西に50キロの位置にあたる。人口25万人のロマンティック街道では一番大きな街である。公式webページには日本語ページもあるようですね。


街中にはいると景色はこんな感じで、それまでの田舎道から都会の装いになる。まずは観光名所の大聖堂へ(教会のページ)。場所は市の中心より数百メートル北側のFrauentorstrasse 1です。教会前の道路に駐車して観光モードに入ります。



青空を背景に教会の美しい建物が映え、なかなか良い雰囲気です。9世紀に作られたこの教会は、内部に美しいステンドグラスを持ち、古いものは12世紀頃に作られた世界最古の部類になるようです。


中に入ってみると、この日の夕方に行われるオルガンコンサートの練習が行われているようでした。練習とは言いながら、無料で美しいオルガンの音を聞けたのはラッキーでしたね。
教会をあとにして、今度は市の中心へ。時間は10時過ぎで小腹が空いてくる時間です。F氏は朝食をとっていないというのもあり、広場で何かを食べることにしました。


市庁舎(Rathaus(Rathausplatz, 86150 Augsburg))は、建築家エリアス・ホルによって1615-1620年に建築され、北部アルプス地方のルネサンス建徳の最高傑作の一つなんだそうです。
ドイツの街は割とどこでも同じような感じなんだそうですが、中心部に市庁舎や教会があって、その前の広場でこうしてオープンスペースで食事ができるようになってます。夏場はここでビールを飲んでいる人々が多くいます。せっかくなので、ソーセージとバイツェンで軽食。ビール付きでどこが軽食だという突っ込みは却下です。トイレに行ってる間に、地元の70歳位のおじいさんがなぜか同席するという展開に。彼は中学生時代(?)に習った単語レベルの英語。こちらはさらにpoorなドイツ語で、とにかく乾杯を言い合う程度の会話でしたが、何となくコミュニケーションができた積もりになって。別れ際に、「会えて嬉しかった、ありがとう」と言ってはりました。こういう触れあいも旅の醍醐味です。
このあと、一路ノイシュバンシュタイン城に向かいますが、続きはまた。